昭和44年05月22日 朝の御理解



 御理解 第78節
 「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたすことがあり、また大切な人が死んで身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになって来る。信心して神の大恩を知れば、無事健康で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。」

 私は今日ここのところを、神のおかげを知らぬからというところを、金光大神のおかげを知らぬからと、ここんところを頂きたいと思います。金光大神のおかげを知らぬから。小倉の初代が、二代金光様、四神金光様を九州の道の大恩人として頂いておられる。四神様あって桂松平があった。九州の者は、四神様の大恩を忘れたら、おかげが受けられんと言うとられます。神の大恩、神のおかげを知らんと言う事を頂きますが、今日はそこんところを私は。金光大神の大恩を知らぬからと。金光大神のおかげを知らぬからと。
 それを小倉の初代は、四神様の大恩、四神様のおかげということを、身をもってそれを感じ心からそれに傾倒された。いわゆる四神様に限りない憧念心を燃やされた訳ですね。桂先生がいろいろとのまぁ仕事の行き詰まりから、自殺をしようと覚悟された。最後のいとまごいの為に御本部へ発たれた。そして心の中にその事を心中祈念されながら、金光様と言う神様を分からしてもろうて、今日までおかげを受けて参りましたが、こういう様な事情の為にもう生きておられない状態が身に起きてまいりましたので。
 まぁこれが最後のおいとまごいでございますという、意味の事を心の中に念じられて御結界へ進まれた。すると四神様がすっと立ち上がられから暫くして、封筒を持って見えて封筒を叩きながらそのう、桂先生のお取次をなさり。「桂さん頭上の、頭の上の蠅はこれで追いなさい。」と言うてそのう何かを下げられた。そして「カバンの中に入れてあるものは、帰りゃ周防灘で捨てて帰れ。」とも仰った。もうそれこそびっくりされたんですね。自分の心中を見て見抜かれておられる。
 ならそのカバンの中には、一振りの短刀が入れてあったと。帰りには本当に周防灘で身を投じて、死ぬる覚悟でおられた。それは幾ら幾らの金額をが出来ないために、もう家では何処にも出来ないと言われる、あのうそういう覚悟をされたらしいんですけれども。その封筒の中には、先生が難儀をしておられる困っておられるだけの金額が入っておったというのですね。それを御覧になった時に桂先生が、四神様へ向かって仰っておられます。「佐倉宗五郎は死に変り生き変り。
 この恨みを晴らさずにはおかんと言うて死んだそうでございますが、この桂松平はそれこそ死にかわり生きかわりね、お道の為に尽くします。」というお届けをなさったという事でございます。いわゆる桂先生のいわゆる七生報教でございますね。そういう大恩を受けられて四神様の御神命と言うかね、四神様のお言葉をそのままに生神金光大神のお言葉とし、いわゆる神様のお言葉として、それを承って九州の道九州に道を開かれたのですね。そういうところから四神様を九州の道の大恩人とこう。
 ですからどうしてもそのう四神様の教えと言うか、四神様の御人格というかね、いうようなものが桂先生の御信心の上に非常に濃く出ております。例えて言うと、教祖様が「難はみかげ」というふうに教えられておるのに、四神様は「難あって喜べ」と。何かしらんこうスパッとそのう切れ味の良いあのう教えですね、四神様の御教えは。もう直言しておられますよね。ですから桂先生の御教導ぶりが、やっぱりそうだったらしいね。四神様の御流儀というものを、桂先生の御信心の上に頂いておられます。
 それは桂先生が、四神様へ対するところのいわゆる憧念心、いわゆる傾倒された。それに言わば没頭された。ですから例えばお言葉使いひとつで、も四神様のお言葉使いと同んなじような、あのう御教えが沢山ございますね。そこでここで神のおかげを知らぬからというところを、金光大神のおかげを知らぬからと。金光大神は、天地の親神様からも恩人として、天地の親神様が「一礼を申す」と仰る程しのおかげを蒙っておられる。「金光大神あって神が世に出た」とも仰っておられる。
 「神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神であるぞ」とも仰っておられる。ですからその金光大神のおかげを、知らなきゃならんのですよね先ず。そこで金光大神のおかげを、いよいよ身近かにする為に桂先生は、いわゆる四神様を頂かれた訳でございますね。四神様にいわば傾倒された。それが九州の道のひとつの流れと言うかね、流儀というのを作っていったのですね。私共もやはりそうであります。やはり桂先生の御信心の流れをまぁくまして頂く訳でございます。
 その桂先生に例えば久留米の初代、福岡の初代吉木先生、近くは甘木の安武松太郎先生などが桂先生に、傾倒してた訳でございますね。ですから先生方の場合には、どういうことであったろうかというと、神のおかげを知らぬからというところを、やはり桂松平、いわゆる桂大先生のおかげを充分に知られた。充分にその神徳を神習われたね。という事にまなるのじゃないでしょうか。例えて申しますと、福岡とか久留米何かはまぁ若い時は知りませんけれども。甘木などは私共がついこの頃迄おられた。
 ついこの頃と言うてももうただですね、もうやんんが手20年になるでしょうかね。それでもよくそこを存じ上げとりますから。まぁいろいろもうきたり聞いたり見たりしとる訳です。ですから甘木でやはりおかげを受けられた先生方というのは、もう安武松太郎先生を、即生神金光大神として頂いておられますですね。例えば現在なら信徒会長の平田繁吉氏なんかもそれであります。とにかくもう安武松太郎先生をもうそのまま生神金光大神として、私達は言った事はないけど。
 先日秋永先生が行かれた時にあちらの御神前に出られた所、そこには神様をお祀りしてあると同時に、そこにはそのう安武松太郎先生の御夫妻のお写真が大きくお祀りしてあって、先ずそこを拝まなければ神様が拝まれない様な風にしてあるそうですね。もう全くそのう師匠である安武松太郎先生を生神金光大神として頂かれた。その安武松太郎先生の為にです、それこそ命も惜しまんという程しの御信心をされた。仰る事ならもうそれこそ火の中水の中にでも、飛び込もうという様なそのう心すらが出来られた。
 終戦後の食物に非常に難儀をした時なんかは、豆腐一丁出来ても、親先生がお好きだからと言うてそのう、持っておいでられたという程しなんです。いわゆる安武松太郎先生にもう傾倒しきられた訳ですね。安武松太郎先生のおかげで、今日の平田繁吉があるという風に頂いておられる訳なんです。あちらでの修行をされた先生方のお話しを頂いておりますとですね、本当にあのうお説教ぶりというかね、言葉使いまでもう甘木ことばになってしもうとられます。甘木言葉じゃない。
 いわゆる安武先生の癖まで受けてしもうておられるね。それはやはりその先生に傾倒されたね。いわゆる憧念心を燃やされた。そこから例えば先生の癖ひとつでも、自分のものにしたいといった様なそのう憧れを持たれた訳でございましょう。神のおかげを知らぬから、私先ず金光大神のおかげを知らぬから。その後はね互い違いにもならずいよいよ家繁盛子孫繁盛はもちろん、代勝りのおかげが受けられるぞと、受ける事が出来るぞというそのおかげを頂く為にです。
 私は神のおかげを知る前に、先ず金光大神のおかげを知らなければならない。結局どういう事になるかと言うと、親先生への傾倒であるね。親先生へ対するところの憧れの念というものを、燃やさなければならない。為にはやはりそのう親先生そのものがです、皆んなの憧れを集めるだけの神徳人徳と、いうものをやはり積まなければならん事ですけれども、そうそんなに大徳を受けられた先生方のような訳にはまいりません。所に信者の苦心が有ると思うんですね。
 これはまぁ私の事をもう申しましてもそうですね。いよいよ修行たけなわになります頃から、私が感じました事はね、例えば私共のいわば師匠筋になります、それぞれの先生方が一生懸命に布教に生命をかけられての、ご信心修行というものを見聞きしてきておる。先生方とてやっぱり人間だ。私達となんら変わるところはひとっつもない。その先生方がなさった修行だから、私に出来んはずはない。もちろん私は道の教師になろうとは思ってなかった。もちろん大望は持っておった。
 大きなおかげを受けなならんという願いを持っておったからね。それにはどうしてもやはり徳を受けなきゃならん。その為には修行させてもらわなきゃならん。そこで先生方がいわゆる先覚がおかげを受けられた、信心の後というのを慕わして頂くように段々なってきた。いわゆる憧念心の走りであるね。そこに石橋先生の信心を又は吉木先生の信心を、桂先生の信心を、もうとにかくそのう憧れというものは、不思議なんですよねぇ。桂先生と聞いただけで身が震うごとあったです私は。お説教なんかの時。
 新聞なんか見よってあの松の字が出て来るともう感動しよったです。そりゃ今でもやっぱり同んなじです。同んなじような事が言いえます。自分でも思いましたどのくらいいわば、先覚の方達の信心に私がいわば憧れを持っておったかとね。だから私はあの当時の事を思うて、あのう修行が出来たとこう思うのです。桂先生がなさった修行である。吉木先生がなさった。石橋先生がなさったね。そういう私はそのういわば修行を、いとわん心がです憧念心に繋がってるです。
 いよいよいわゆる神のおかげを知らぬからという事に近ずいて来た訳です。今朝方私目覚ましのおかげ頂く時に、いつも御理解の中に頂きます、あのう芭蕉の句の中にございますね、「この道を来る人もなし秋の暮」と、いわゆる俳聖と俳句の神様とまで言われた芭蕉がです、様々な苦心工夫の中から、あぁいう素晴らしい句を作られるようになられた。ですからもうその教えを乞いたいという弟子は沢山あった。けれどもさぁこれからという時になってですね、ついて来る者がいない。
 これからがいよいよ良い修行だというところから、ついて来る者がいない。これは芭蕉の晩年の句だと言われておりますね。ですからもういよいよ俳句の妙味と言った様なものをです、味わいをこれからが分からなきゃならんというところから、皆んながその辺に腰かけてですね、それから以上そのついて来ようとしないその寂しさを、句にしたのだと言われております。「この道を来る人もなし秋の暮」。芭蕉としては大変寂しかった訳ですね。その句を今日起きがけに頂くんです。
 そして今日の御理解を頂きましたら、七十八節。これはもう昨日も頂いたのにと私は思うてですね、その頂いた事とこれとどういう関わりがあるだろうかと思うたら、78節の後半神のおかげを知らぬから」というところを頂くんです。そんならその神のおかげを現わして下さった方、それが金光大神であり、四神様であり、三代金光様であり、いわば私共の師匠又は先覚の先生方であります。ですから師匠達としてはですね、先生方としてはですこれ程のおかげを受けた御自身が。
 自分がこれだけのおかげを受けた、だからこういうおかげを受けるにはです、こういう信心をしないか。こん位の修行ぐらいせにゃ出来んぞと言うておられるのだけれども、そういう信心に傾倒してくる。修行をなら先生方のなさった修行でも、一辺どもさせて頂こうというような意欲を燃やす者が、いないというところにです寂しさを感じておられるのではなかろうか。これは私ですら思うんです。惜しいここまでは、皆んの嘱望を受け、はぁこの人の信心はと言われた人達がです。
 もうそれからこっちは全然付いて来ようとしない。これだけ分かったらもうこれでいいように思うて、そこに安住してしもうておる。惜しいなぁこれだけの人物これだけの信心を持ちながら、これから先をついてこようとしない。惜しい事だなぁと私が思うんですもん。だからやはり先覚ねのたとえばお徳を受け、おかげを実際に現わされた先生方は、それを思われるだろと私も思うのです。
 昨日の秋永先生の所の支部の御大祭の時に、若先生が話しておった事じゃないですけれども、そんならお互いがぶりぶりするようなおかげ、本当にめでたいおかげを受けたいという願いは皆んな持っておるけれども、現在の信心でそれを受けようという様な甘い考えを持っておるところにです間違いがある。それは只夢だけであってそれを私は実現するようなおかげになってこない。私の挨拶の中でも申しましたように、一級の信者を目指せとこう言うのである。私も取次者を一級の取次者を願わしてもらう。
 形の上に於いてだけは、例えばこのお広前建立という事によってです、いわゆる日本全国津々浦々まで、写真入りで報道されるようなおかげを頂いておるから、はぁ合楽ちゃたいした教会だなぁ、立派な教会だなぁ、もう一級品だなぁという風に見られておるけれども、こちらの信心内容というのは実に貧しいものだと。そこでその内容であるところの信心を本気で頂かねばならんというのが、私の挨拶でしたが。ですから皆んなもやはり、一級の教会、一級の取次者の取次を頂いてです。
 一級の信者を目指してもらわなければならんというおかげを頂く為にです、私は今日のここのところの神のおかげを知らぬから、互い違いになるという事ではなくて、神のおかげを知って本当に神様が願うて下さる、一年勝り代勝りのおかげを受けたい。それには先ず神のおかげを知る前に金光大神のおかげを知れと。それを身近かに頂くならばでね、初代先覚あたりの信心のおかげを知れ。実際にこの世にそういうおかげを樹立された。打ち立てられた。
 それがなら甘木とか久留米辺り福岡辺り小倉辺りに残っておる。そういうおかげを頂かれた。それこそその時代を風びする程しの御ひれいを輝かされた。そういうおかげの元であるところの御信心というものをです、私共が神習わせて頂いておかげを受けていかなならんがです、そこにひとつの憧念心、師匠に対する先覚に対する憧念の心がお互いの心の中にどれ程あるかね。私ですら思うそれは私ですら、私が頂いておる信心ですらです。そんなら現在の皆さんのような信心では駄目だという事。
 私はここまで私はほおなここまでしか頂いてないけれども、こまでの信心でもですそれを頂こうとこう意欲する人が少ないという事。先生は先生。そげん先生のごたる真似はできん。それは何故そういう事になるかと言うと、憧念心が欠げておるからである。神様へいやその先生に対する親先生に対するところのです、憧れの念というものが出来てくるとですね、先生が言われる事なら、先生がされる事ならば、どういう事であってもです、それ言うならば、あばたもえくぼに見えて来る様にならなきゃいけんのである。
 そこに暑さも寒さも感じんで済む。眠さも感じんで済む言うならば先生が言われる事ならばどのような事でも、「はい」と受け賜われるような信心。私は今朝からですね、それを思うんですよ。神様は今朝方起きがけにどうしてこんなお知らせを下さるだろうか。それはそのまま私の心であると思うたんです。ただおかげを頂きたい。けれどもそのう信心の方は頂こうとしない。何故頂けないかと言うとやはりなんでですかねぇ、憧れの念が欠げておる。そこで私共とあな方信者さんとの仲にです。
 どういうものかを持ってひとつ交流しなければならないという事、何かを持って。昨日一昨日でしたか。熊谷さんの所での吉井地区の共励会に、皆さんがおかげを頂いてから、また皆んな帰りに寄られました、丁度私も四時の御祈念が終わっておるところでございましたから、私もおりて信者控室で、そのう信者控え室でお茶を頂きながらまぁ話す事です。皆さん今日はどこの共励会、今日はどこだと言うてもう楽しみいっぱいで、その皆さんが吉井に集まられ。
 それがもう本当になんかそれこそ好きなもの同志の集いであり、好きな信心を語り合うのであり、もう話しても話しても限りがない程に話が出てくる。そして吉井までも皆んながあっちこっちから集まっておかげを頂いていく。これがね私共信心頂いておる者まぁ夢であった願いであったものが、このようにして成就していきよる。まぁ昔よく言いましたよね、親先生がおいでられる所になら、どこにでんついて行けるようなおかげを頂きたい。親先生が御本部に行かれるなら、もう行かれるたんびについて行きたい。
 もうこと神様ごと信心ごとならまぁもう何をおいても、行けれるだけのおかげを頂きたい。暇も要りゃお金も要る。だからそういう事がもう嬉しゅうて堪えんで、行けれるようなおかげを頂きたい。行きたいと思うけれども旅費がない。行きたいと思うけれども暇がない。そういう意味であなた方は、暇もありゃお金もお繰り合わせを頂いて、今日の共励会に行かれたが、もう皆さんここに帰ってからのその話がニコニコしてです。
 もう本当にどういう素晴らしい、例えばお芝居見げよりも、映画見に行ったよりも嬉しゅうて堪えんという様な話をしておられる中で、私はそれを言うんです。それが出来られておる事は有り難いなぁて。これは信心へのひとつの憧念心、憧れです憧れがそのようにして成就していったね。ほんに今日はどこどこで共励会がありよる行きたいばってん、暇がなかけん。いや行きたいとすら思わない。
 これはいわゆる憧れがないからですよ。それはもう人は人もうこちらで、ただ毎日一生懸命お参りさえすりゃよか。いくら会合があろうが、どういうような信心の集いがあろうが、そげな事は耳も貸さん。ただ私しゃ毎日一生懸命拝みょる。一生懸命願いさいすりゃよか。これなんかもう実に潤いの無い信心だと思うのです。だけでは無い本当に自分にそのに好きな事がですね、もう本当にそれが出来るというのは、こげな幸せな事はないですよ。そういう意味であすこにそのう磨きょった。
 磨く様な事は中止殆どでしたが。本当にあなた方はおかげを受けておるですね、というてから話した事でした。好きな信心話が出来る又聞かれる。そういう集いが待ち遠しい。それをやはり憧れを持っておるから、こうして事実が出来る出来ていくんだという訳ですね。今日の神のおかげを知らぬからというところをです、ひとつ皆さんがもっと身近かなところにひとつ置いてみて、それこそ北野の方達じゃないけれどもね、あのうまぁだ椛目の初めの頃。毎日毎日ここをずうっと歩いてからのお参りであった。
 そして一日もう御理解を頂いてから帰る。朝お参りしてからもう夜の御祈念がありょうるころ、もう夜の御祈念がありょる頃、もう今頃夜の御理解がありよる頃だと思うたら、あのう中村さんの裏の堤防のうえに皆んなが上がってから、あぁ今頃は親先生はどげな話しござるじゃろうかと言うてから、そのう椛目の方向いて思いよった。さぁ明日の朝早よう参ろうと言うて皆んな歩いて参って来た。それこそ「大城、大橋焼けよとままよ。椛目通いは船でする。」というような勢いじゃった。
 もうそりゃですねあの時分の方達の場合なんかは、そうでもう夜中まで御理解頂いて帰るもんじゃから、帰りがけにはふらふらしながら、もう寝りながらはぁ眠気さましに歌唄うてからあの堤防を通って帰ったっち。そしてから又あくる日参ってくる。私が北野でん行こうもんなら、皆さんがならそこまで送って来ると言うて、送ってくるちゅてまぁちっとってもう少しお送りしてから、とうとう又椛目まで着いてから、という様な人達があった。これなんかはいわゆるそのう憧れの念です。
 皆さんも一応はそういう様な所も、そういう形の上はともかくとして、そういう憧れのものを持たれたんですから、それが本当に信心と共にいよいよ育っていかなきゃいけんのです。だから本当にやはりおかげを受けた。ならその平田さんの例を取りましたがですね。あのように例えばもう一級品中の一級品という様な、御信心を頂かれた方達はです、そういう憧念心をです、例えばそれが叱られても叩かれても、その憧念心を燃やされたという事なんです。只よかお話しだけ只よか時だけが憧念心じゃないのです。
 さぁおやせんせいがあぁいうことになったちゅうて、もう腹かいてもうお参りをやめた信心をやめたと言う人すらもある。そういう中にの信者がね、ですからそのところをですね私は頂き、お互いが頂き合うていく。そこからおかげが互い違いにならない、同時に年勝り代勝りのおかげが受けられる、信心が頂けるとこう思うのです。そこから神のおかげが分かってくるのです。だから先ず神のおかげを知る前に、金光大神のおかげを知る。四神様のそして私共としては、やはり何というても三代金光様でしたね。
 その三代金光様への憧れの念がです、私が今三時半に起床さしてもらって、四時の御祈念をさして頂くのが、もう日を追うに従ってです本当言うたら、増々有り難うなってくる事に自分ながら驚いとります。三時半から四時まで、そして四時の御神前の御祈念の座につかして頂く。あの感動と言うものは、こりゃもう言葉には言い現せない実際。はぁ言うならば三代金光様へ対するところの憧念心がね、憧れの念というものがこういうことをが行じ抜けられる。とても出来んと思うっとった事が出来る様なおかげを頂いた。
 しかもこのように、この様に楽にどころではない、このように有り難くそれが出来るようにならして頂いたという事は、はぁ三代金光様の御神徳のおかげだと私は思うです。そこに互い違いにならんで来るところのおかげ。これなら年勝り代勝りのおかげを受けられるぞというような、確信は持てれるように段々なってくるのでございますね。どうぞひとつ皆さん神のおかげを知らんからと仰るが。
 先ずまぁ皆さんでまぁおこがましい事でございますけれども。親先生のおかげを知らんから、という事になるのじゃないでしょうかね。だから為には私自身がもっともっと皆さんの憧れを、ここに集められるだけのですね、御信心を頂いていかねばならん事はもちろんです。けれども皆さんとしてもここにひと工夫もふた工夫も、私はなされなければならんのじゃなかろうかとも思います
   どうぞ。